ストレッチデニムちうんは、伸縮性のあるデニム素材のことや。主にジーンズの材料として使用されとりまんねん。旧来のデニム生地とはちごて、生地が柔らかうて、履き心地も抜群や。
ストレッチデニムの特徴は、それまでのデニムと比べて伸縮性に富んどることや。そやから、ストレッチデニム着用した時に体にフィットして、女性にとってウレシイんは、ストレッチデニムのデニムを履くと美脚効果があること!美脚効果を謳ったストレッチデニムジーンズは、ようけのメーカーから発売されてんねんで。
ストレッチデニムって?
■ストレッチデニムの誕生
1992年にボブソンが「04ジーンズ」を発売したことにより、デニムはソフト化の道を歩み始めたんや。04ジーンズは、レーヨンとデニムを融合させた、デニムの素材としては画期的なストレッチデニムの原型とぬかすべき生地を使用してるんや。
現在のストレッチデニムと違い、それまでデニムちうと、重うて厚手でごわごわしててフィット感は感じられへんもんちうイメージの素材やったが、ストレッチデニムの原型のこのデニムは、軽い上に柔らかうて履きやすいゆう特徴があり、幅広い年齢層のヤカラから支持されて、爆発的に売れはりました。
それにより、他のジーンズメーカーも相次いで同じようなソフト感のあるデニムを発売して、「ソフト・ジーンズ」ちう新たなデニムブームをもたらしたちうワケや。
このデニムの素材のソフト化は更に進み、その後にはレーヨンの変わりにテンセルを使用した「テンセルジーンズ」も売り出されたんですわ。
ほんで、登場したんが、「ストレッチデニム」。
日本のデニム年表
デニムというたら、昔からアメリカ生まれのもんちうイメージがおます。そのイメージ通り、1960年代に入るまでは、日本国内にはデニムを生産するメーカーがあらへんかったんですわし、日本でのデニムの歴史は戦後から、ちうイメージもようけの人が持っとることでっしゃろ。
せやけどダンさん、実は1905年にはもう既に日本にデニムが入ってきとったちう話がおます。調べてみたら、リーバイスが1905年に日本で商標登録をしとったちう事実が公表されとったんや。1913年9月1日に起きた関東大震災の時に異国から届いた救援物資の中にもデニムが入っており、「香港ズボン」ちう名前で輸入されて販売されとったちう話も聞きまんねん。せやけどダンさん、その当時のデニムは、日本人にはその着心地が合わへんかったようで、ようけ売れるゆうことはなく、その後輸入も途絶えてしもたようや。
第二次世界大戦が日本の敗戦とともに、闇市やらなんやらでまたデニムが出回るようになったんやが、そら衣料としてやのうて、機械やらなんやらを磨く布として飛ぶように売れとったさいです。せやけどダンさん、売られとったデニムは、中古で、衣料品の輸入が認められていへんかったため、米軍の放出品が売られとったんや。
■1950年代 -デニム年表
日本に中古のデニムを輸入され始め、日本のデニムの新しい時代を築く第一歩となったんですわ。せやけどダンさん、その当時は、擦り切れたり汚れたりしてんデニムを補修したり、日本人のサイズに合うように補正したり、洗濯し直して市場に出しとったんや。
■1957年 -デニム年表
新品の衣料品の輸入が解禁され、新品のデニムも輸入できるようになったんですわ。せやけどダンさん、新品のデニムは、その頃は新品というたら未洗いのもんしかいなく、洗濯すると縮んやりするっちうことがようけ、その上糊がついとるのでごわごわした履き心地で、脱ぎ着がしづらうて、その上値段も高価なもんやった。実際、売れ行きも良うあらへんかったんですわ。試しに、その未洗いのデニムをいっぺん洗ってから市場に出したトコ、未洗いのもんと比べて格段に売れるようになったんですわ。
せやけどダンさん、当時は、体型的にも日本人の体型には輸入デニムは合わへんかったようや。その製品自体が日本人には合いまへんために売られへんのではあらへんか?ちうことで、柔らかうて履きやすく、縮みもちびっとの日本人に合ったデニムを、気軽に買えるような値段で作ろうと各社が取り組むようになったんですわ。
■1963年 -デニム年表
衣料以外に生地の輸入が自由化され、輸入生地を使うて、日本人の体型に合ったデニムを国内で使うことが可能になったんですわ。
「日本のジーンズの父」と言われる大石貿易の大石哲夫氏は、リーバイス501の縫製をほどいてパーツに分解し、それを元にして型紙を再現しましたわ。それを参考にして、日本人の体型に合うデニムの型紙を考案し、製品化しましたわ。それが「Canton(キャントン)」ちう日本初のジーンズブランドや。同じ年には、1961年にスタートしたEDWINもEDWINブランドでデニムを発売しましたわ。
■1970年代 -デニム年表
日本のデニムは、アメリカの影響をごっつう受けとったようや。1964年の映画「ウェストサイド物語」の後で、EDWINがカラーデニムを発売したんもその影響の強さを物語っとるもんかもしれしまへん。ベルボトムのデニムがビッグジョンから日本で初めて発売されたのもきょうびや。
アメリカの3大デニムメーカーも日本に進出してきて、日本国内でも「デニム」ちう分野がファッションの中で確立してきましたのや。きょうびは、デニムの売り上げの半分以上はブルーデニムで、デザインとしては、今とは違いフレアータイプのもんが半分ねきのシェアを占めとったんや。それまで売り上げの好調やった「リーバイス501」やらなんやらのフロントボタンのタイプのデニムの売れ行きはちびっと鈍化していきましたのや。
■1972年 -デニム年表
石油ショックをきっかけに、社会的には省エネルギーや環境保護の気運が高まってきましたのや。ほんで、きょうびは、それまでフレアー主体の売れ行きがストレートへと移ってきたゆう移行期やった。
また、「シェービング加工」や「ブリーチアウト」やらなんやらの加工技術が出てきた時期でもおます。「シェービング加工」は、「ひげ加工」とも呼ばれ、実際に履いた時にできるような皺を加工でつけて、ユーズド感を出す加工や。「ブリーチアウト」は、「ブリーチ」「アイスウォッシュ」とも呼ばれ、漂白剤を使用して、色を抜き、白っぽくしたような感じを出す洗い加工や。
■1970年代後半 -デニム年表
ジーンズ=デニムちう固定観念を打ち破るような「コーデュロイデニム」や夏場のデニムとして「ホワイトデニム」が新たな傾向として発売されたんですわ。
また、婦人向けのデニム商品として「デニムスカート」や「デニムキュロット」が出されたり、EDWINが「サムシング(SOMETHING)」ちう婦人向けの専用ブランドを立ち上げた(1979年)りして、デニムは男女を問いまへんファッションアイテムとしての地位を不動のもんにしましたわ。デニムの専門店も日本国内で5000店にもなりよったさいです。
■1980年後半 -デニム年表
新たに本日この時まではデニムを出していへんかったデザイナーたちがデニムも出すようになったんですわ。カルバンクライン(Calvin Klein)、ラルフローレン(Ralph Lauren)やらなんやらと言うたブランドもデニム業界に参入したちうワケや。
そのことによって、デニムちうファッション分野に、「デザイナージーンズ(ステータスジーンズやディナージーンズともいうわ)」ちう新しいデニムのカタチが生まれはりました。デザイナージーンズは、本日この時までにデニムを履いたことのへんかった女性たちの需要を新たに開拓するっちうことになりよったのや。これを境にして本日この時までにへん新しいデザインのデニムが続々と生み出されたんですわ。
1980年代後半の「ケミカルウォッシュ」ちう洗い加工は、一大ブームを巻き起こしましたわ。
■1990年代以降 -デニム年表
デニムはソフト志向が高まったんや。「ストレッチジーンズ」のデニムもその流れを組んやもんなんやこれがホンマに。